第1部

三町半左の謎を追う



「秘剣小鳥丸」第1部・小六・564月号


1・起 

三人の探偵が

登場する

 

 

 

 ある日、神戸三宮の酒場へN氏に呼び出された3人。久しぶりの顔合わせで酔い始めたころ、N氏から「まぼろしの漫画家」という1枚のコピーが配られた。

「昭和30年代に活躍した三町半左という漫画家のことが知りたい。

第1に、どういう人物か。

第2に、なぜ消えたか。

第3に、かれの本「天兵童子」か「八犬伝」を手に入れたい。

私の夢をかなえてほしい」という依頼である。

 

 3人を紹介しよう。

Aは、レファレンスのベテラン。元図書館司書。

 Bは、かつて漫画少年。サラリーマンOB。

 Cは、自らホームページをもつネット・サーファー。元公務員。

 

「手がかりは、この1冊だけ」とN氏が取り出したのは、ぼろぼろの漫画本。表紙に「秘剣小鳥丸」、『小学六年生』昭和31年5月号付録、とある。

「そういえば子どものころの雑誌には付録がいっぱいついていたなあ。組み立て式のカメラや望遠鏡。そして別冊付録の漫画」と司書が懐かしむ。

「けれど三町半左は知らないね」

 こうしてN氏の依頼を受けた、司書探偵A、漫画探偵B、ネット探偵Cが動き始めたのである。1週間後に情報を持ち寄ろうと決めて、散会。ネットでの探偵ごっこの始まりである。




2・承 

はやくも謎の

一つを解く

 

 

 

■司書探偵A

 まず私から報告しよう。図書館の蔵書検索で、「編著者・三町半左」と入力する。もちろんヒット0。図書館に漫画は置いていないもんね。広島に漫画図書館があったはずとページを開いたが、こちらは蔵書検索ができない。漫画研究家の清水勲の著書に名前が出てくるかもしれないと、図書館へ出かけました。

 清水勲の『「漫画少年」と赤本マンガ』ゾーオン社・89年)に、以下の記述があった。

 

 清水勲氏

 白土三平の「忍者武芸帳」が階級思想を持つものとして昭和30年代後半から脚光を浴びてくるが、三町半左が描く「山中鹿之介」(昭和29年『小学六年生』付録)をはじめとする階級思想をもった時代物漫画を評価する人はいない(三町半左は一時「赤旗」などにもかいていたがいつの間にか作品が見られなくなった。人物の表情やストーリーに個性があふれ魅力的な漫画家だった。)

 

 ほかに「出生地、生年月不詳」とありました。とりあえず、そういう漫画家がいたことは確かだ。

■漫画探偵B

 まず本を手に入れるのが先決と、東京都古書籍商業協同組合の「日本の古本屋」のサイトを開いてみた。三町半左はありましたよ。7冊。全部注文しました。頒価+消費税+送料+当方の振込料、あわせるとけっこう高くつきますね。「八犬伝」完結編は、頒価3千円ですよ。いずれ手元に届きます。

 それはともかく、すべてが昭和30年〜32年の『小学六年生』の付録ですよ。

 当時『少年』『冒険王』『少年画報』『少年クラブ』などが小学生・中学生に読まれていたが、三町半左は小学6年生を対象とした雑誌にしか描いていない。小学館の『小学○年生』は学年別学習雑誌と称し、他は娯楽誌ですよね。しかも当時、『少年』は鉄腕アトム、鉄人28号、『冒険王』はイガグリくん、『少年画報』は赤銅鈴之助、まぼろし探偵、といった人気漫画が連載されていた。つまり『小学六年生』はあまり売れていなかった、と推察できるね。

 三町半左の知名度が低いのは、小学館の雑誌にしか描いていなかったからだった。

■ネット探偵C

 検索エンジンであっちこっち調べていたら、あれあれ、依頼人N氏に似た人が出てきましたよ。

「題名・御無沙汰しました。先日は三町半左さんのことを教えていただき……」

 というのがあった。映画やテレビの時代劇を語りあうページだった。過去ログをたどってみた。

 

010913 W氏 

 題名:「三町半左」という漫画家をご存じですか。

 50年代に小学館から『小学五年生』『六年生』などの月刊誌が出ていました。それらの付録に三町半左(畔左?かも)という漫画家の天兵童子、里見八犬伝、日吉丸……があり夢中で読んでいたものでした。

 その後ぱったりと消息がわからなくなってしまいました。もっとも私が小学校を卒業してしまったせいかもしれませんが…… 。下級生に訊いても誰も知りません。すごくすてきな漫画家だったのに。まるで私の中では漫画界の「写楽」なんですよ。あんまり昔のことで探しようがありません。もしかしたらご病気などの理由で筆を折られたのかとおもったり。この掲示板の皆さんのなかで消息をご存知の方、もし、いらっしゃいましたらぜひ教えてください。

 

 ね、N氏と同じような人が登場してきたでしょう。ところがその後、とんでもない展開に……。

 


1950年代の少年月刊誌。小学館の学年誌は今も続いており「郷愁」対象になりにくい。




3・転   

デビュー前の

ペンネーム?

 

 

 

010913 X氏

題名・三町半左、詳しくはないけれども。

 W様。昭和でいうと30年前後。漫画家白土三平さんが、貸し本漫画「忍者武芸帖」などに出る前に、どうやら小学館の雑誌に「三町半左」というペンネームで時代物漫画を書いていたようです。

 古書店などでは、当然、白土三平の名前の方が有名なので高価らしいです。ただ雑誌のフロクだったので数は少ないかもしれません。オッ、恐ろしや、もう半世紀もタッタ、たった半世紀。

 

010913 W氏

題名・早速お返事ありがとうございました。

長い間、ほんとうに長い間ずっと心にかかっていたことがやっと分ってすっきりしました。それにしても白土三平さんだったとは! 今の今まで思いもよりませんでした。

 小学館にきいてみても返事がないし、もう駄目だと思っていましたが最後の望みと思って書き込みしてみました。本当にありがとうございました。

 そういわれてみると、作風というか「絵」というより筋の運びといったものが確かに二人に共通したものがあるような気がします。

 やっぱり私にとっては「写楽」だったのですね。名前が消えてしまった理由も本が手に入らない理由もこれで納得できました。

 


白土三平「こがらし剣士」1957年のデビュー作。

010914 Y氏

題名・白土さんは守備範囲外ですが。

 白土三平さんが三町半左という名でマンガを描いていたことはあまり知られていません(かくいう私もちらっと聞いたことがあるという程度なんですが)。

 ご本人も、「消したい過去」だと思っておられるような気がします(笑)。ファンサイトにある氏のプロフィールでも、昭和30年前後は空白だったりします。

 氏が紙芝居で食っていけなくなって困っていた時、牧数馬というマンガ家と後の白土夫人になる女性と3人で千葉東金に住んでマンガを教わったとのこと。その牧さんのつてで小学館に紹介され(習作として?)「三町」名で描いていたんではないかと、推察されます。

「児雷也」や「山中鹿之介」などお馴染みものも手掛けておられたようで、その辺が、白土さんは触れられたくないところなのかもしれませんねえ。

 

 おいおい。嘘だろう。探偵団は思わぬ展開に驚き、白土三平のセンから三町半左を調べようと、この日は散会。

 

■漫画探偵B

 白土三平といえば、わが家の息子が3歳くらいのころ、夕方のテレビ・アニメで「サスケ」をその息子といっしょに熱心に見入ったことがある。

 こういうナレーションから始まる。

「光あるところに影がある。

 まこと栄光の影に数知れぬ忍者の姿があった。命を懸けて歴史を作った影の男たち。

 だが、人よ名を問うなかれ。

 闇に生まれ、闇に消える。

 これが忍者のさだめなのだ」

 白土三平の原作による躍動感にあふれる画面にひきつけられた。豊臣方が敗れ、母を失った少年忍者サスケは、真田の忍者である父・大猿大助とともに流浪の旅に出る。

 ところが調べてみると、「サスケ」は昭和43年に放映されている。この年、息子はまだ生まれていない。記憶のあいまさに恐れ入るしかないが、やがて生まれてくるだろう息子の成長を思い、この父と子の物語を私は見ていたのだろうか。

 この白土三平の画面の疾走感(動いているので当たり前だが)は、たぶん三町半左が「進化」したらこういう絵になると思った記憶がある。

 

テレビアニメ「サスケ」全26話は、6869年に放映された。

■ネット探偵C

 前回のY氏の発言。ここでの注目点は、白土三平の昭和30年前後は「消したい過去」であるため「空白」であること、その理由は「お馴染みもの」を手がけていたこと、である。「お馴染みもの」とはオリジナリティに欠ける作品という意味だろうか。 

 そこでY氏にメールを出すと、さっそく返事をいただけた。

 

 Yと申します。メールを頂戴いたしました。

「三町半左=白土三平説」については、ずっとずっと前にどこかで耳にした覚えがあるだけで全く分かりません(因みに私は手塚治虫のファンです)。

 あのとき、ネット上で検索してみたら、そういう指摘をしているかたが何人かいらしたように思います。ただ、白土氏及びその周辺がその事実を認めたということはないようですね。この手の話題は50歳以上のかたにお訊きになられたほうがよろしいのではないでしょうか(私は40歳手前です)。ご回答になってませんが、とりあえずご返信まで。

 

 なんだかはぐらかされた感じがしない訳ではないが、ともかく根拠はないようである。

 

白土三平氏。「サスケ」は『少年』に61年7月号から連載

 

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