4・転々  

別人説が

あらわれた

 

 

 

■ネット探偵C

 もう1つ、検索でこういう記述を見つけた。

 

「……インターネット上では白土三平のデビュー前のペンネームが三町半左であったという説が流布している」

 どうも個人のホームページ上の日記らしい。さっそく全文を見ようとしたが、この人のページは移転したか削除されたのか出てこない。このZ氏には、全文を読みたいとメールでお願いをした。

 

 Z氏は神田神保町の古書店の店主であり小説家でもある藤下真潮氏だった。藤下氏のホームページのうち日記の部分を見てみる。

 

02年7月10日(水)

 台風の影響で朝から雨。客足はさっぱりだが、通販の処理に追われそれなりに忙しい。通販処理が一段落するころに、おなじみさんが来店。SF関係を数点お買い上げ頂く。

 店を閉めた後、池尻大橋のH冬書房へ行く。

 三町半左という作家と白土三平の関係を確認する。インターネット上では白土三平のデビュー前のペンネームが三町半左であったという説が流布している。三町半左の作品を数点入手して絵柄を検討してみるがイマイチ合点がいかない。T野氏の判断も同じようなもので、白土三平の初期の絵柄とギャップが大きい。牧かずまの作品をアシストしていた際の絵柄と比較してもギャップが大きい。

 なにより三町半左の名前は昭和34年ころまで見受けられる。白土三平は昭和32年に単行本デビューしているからやはり別人だろうと言う結論に達する。

 

 別人説の登場である。

 その理由は、第1に絵柄が違いすぎる、第2に活動時期が重複している、というものである。

 藤下氏の店で扱っている三町半左の本3冊を注文した。藤下氏からのメール。

 ここに書かれております、H書房T野氏とは、北冬書房高野氏のことです。高野氏は昔、青林堂のガロの編集者だった方です。白土三平とは多少面識はあるようなのですがそれでも30年代初期の白土氏のことはよく分からないようです。

 白土三平と三町半左の関連の推測については日記にもありますように一部同一人物説がありますが、三町半左の著作を何点か集めて検討しましたが、別人だろうという結論に達しました。

 

 追記・わたしは、白土三平=三町半左説の元になった情報というのを確認しておりません。ひょっとしたら何らかの都合で同時期に別ペンネームで執筆した可能性もあります。三町半左の今後の謎解きを楽しみにしております。

 

■司書探偵A

 白土三平 本名・岡本登。昭和7年2月15日、杉並区に生まれる。

 父・岡本唐貴、画家。戦時中、一家で長野県に疎開、昭和21年東京に戻る。加太こうじと知り合い、26年から紙芝居原稿を描く。「ミスタートモチャン」「カチグリ カッチャン」などがあり、既にペンネームは白土三平であった。翌27年には指人形劇団で舞台背景なども描き始める。

 元紙芝居仲間の牧数馬のアシスタントになり漫画の画き方を学ぶ。貸本漫画の執筆へと入り、32年「こがらし剣士」(巴出版)でデビュー。同年、貸し本会社、日本漫画社を営んでいた長井勝一のもとに原稿を売込みに行き、「嵐の忍者」「忍者街道」など発表。34年「忍者武芸帳」第1巻出版。39年雑誌「ガロ」創刊。「カムイ伝」連載始まる。

 

 いくつかのファンサイトで語られている白土三平の初期の略歴をまとめれば以上のようになる。


「ガロ」創刊号(64年)と「『ガロ』編集長」(82年)

 白土三平のデビュー前後を知るために、長井勝一の「『ガロ』編集長―私の戦後マンガ出版史」(87年・ちくま文庫)を読む。「白土三平さんとであう」という節を要約すると…。

 

 昭和32年夏、巴出版から出版されたデビュー作「こがらし剣士」を見て、絵もストーリーいいと興味を持つ。1週間後に、その作者が訪ねてくる。新しい作品を巴出版にもっていったが出版社はつぶれていて、「ここでダメならマンガをやめよう」と訪ねてきたとのこと。あまり昔のことをしゃべらない人だが、人形劇団にいたり、紙芝居を描いていたりしたという。

「紙芝居をやっていた頃も、ずいぶん大変だったようだが、マンガに転進したからといってそれで楽になるということはなかっただろう。原稿料がもらえなかったとか、出版社がつぶれたというのは、いってみれば日常茶飯事だからだ。だから当時の三平さんが、机も買えずにリンゴ箱でマンガを描いていたのも……」

 結局、この昭和32年、夏から数か月の間に、白土三平は「それまで蓄積してきたものを、一挙に吐き出していくように」日本漫画社から14冊を出す。翌年、混血児をテーマにした「からすの子」、被爆した少女の「消え行く少女」、戦犯を扱った「死霊」など問題作を発表。

 

 うーん。これは三町半左ではないなあ。同一人だったら、小学館というメジャー出版社からわざわざ貸し本漫画の世界へ移るのは不自然だしね。

「義経物語」小六・592月号







5・結  

三人の探偵が

三町半左像を推理する

 

 

 

■漫画探偵B 

 私は別人説です。

 @ 白土はストーリー・テラー、三町は原作ものが多い。

 A 人物は似ていないこともない。しかし描き文字が違う。白土は紙芝居から貸し本漫画に転向するとき手塚治虫の影響を受けている。三町の描き文字は当初から変わっていない。

 B 背景描写は、白土は詳細に描いているが、三町はたとえば木といえばワンパターンの松の木が多い。 

 C コマ割りはどちらも巧み。全体に白土はシリアスだが、三町は画面で漫画特有の遊びをする。

■ネット探偵C

 だけどまんが界の「東洲斎写楽」という夢を残しておきたいね。「義経物語」はたった4年であんなに絵が進化している。もしかしたら、白土三平の唯一の弟子、「おせん」など時代漫画を描いていた楠勝平が三町半左かもしれない。この人は昭和49年に夭折した。あるいは白土三平の実弟で赤目プロの片腕・岡本鉄二が三町半左かもしれない。と、まあ、こういうふうに無責任に「写楽伝説」をいくつもつくることができる。なにしろ三町半左の活動期間が短かすぎる。

 

■ネット探偵C

 そろそろ結論を出そう。N氏の依頼事項の第1、三町半左とはどういう人物か。私が無責任に推理をしてみよう。

 三町半左は、昭和ヒトケタ生まれ。義経伝説に興味を持っている様子や馬が頻繁に登場するところから、東北出身ではないか。寡作であることから、他に仕事、たとえば小学校代用教員、かたわら農業とか……。もっとも作品がすべてだから、どういう人物かを追っても意味がないと思うが。

 

■漫画探偵B

 大胆すぎるよ。依頼事項の第2、なぜ消えたか。

 背景から説明すると、少年漫画の世界は、昭和33年『少年クラブ』に登場した「月光仮面」は、作・川内康範、絵・桑田次郎で、作と絵が分離した。貸し本漫画もアシスタントの起用によるプロダクション化し、児童漫画から青年漫画へ、つまり「劇画」の時代へと移っていった。

 他方、昭和34年、『週刊少年マガジン』(講談社)に続いて、三町半左のお膝元、小学館も『週刊少年サンデー』を創刊。月刊誌から週刊誌へ、活字による読み物から漫画が主流となっていった。

『小学六年生』では、「オバケのQ太郎」藤子不二雄、「背番号0」寺田ヒロオが人気、『少年サンデー』では、「スポーツマン金太郎」寺田ヒロオ、やがて「おそ松くん」赤塚不二夫、などがヒット。いわゆるトキワ荘グループの活躍が始まる。

 このころ三町半左はすでに30歳を越えていたと思われる。得意とする時代漫画も、36年に白土三平が「サスケ」を『少年』に連載を開始しヒット。三町半左は、35年に「少年事件記者」で現代ものへ転身しようと試みるが、成功したといえない。

 37年には伝統ある『少年クラブ』が休刊。さらに38年に国産初のテレビアニメ「鉄腕アトム」の放映開始。三町半左は、時代に取り残された。やがてアカハタ日曜版に連載をはじめるが、そのメディアの政治色のせいで、こども漫画の編集者からふたたび声のかかることはなかった。…という推理です。

 

2冊の「義経物語」。どちらも「小学六年生」2月号付録。左は昭和30年2月、右は奥付がなく発行年不明。右の裏表紙に「なぜなぜ漫画文庫」の広告があり、なかに「1月20日にでる新刊G『正義の鐘』」と記載があり、調べたらこの本が昭和34年に発行されていることから、右は昭和34年2月号の付録と判明した。三町半左の絵は4年間で左から右へ「進化」し、弁慶のキャラクターも著しく変化している。絵は弁慶のたこ踊りの場面。

■依頼人N

 ちょっとさびしい結末だなあ。

 発表当時、最先端の作画技術だった「天兵童子」「太閤記」がかれの代表作だろう。終戦から高度経済成長が始まるまでの間の昭和30年代前半に、われわれ少年に勇気と夢を与えてくれた。一瞬輝いて消えた三町半左。復刻されることはないだろうが、かれの全作品がそっくりどこかに残されていることを祈りたいね。

■漫画探偵B

 そうそう、札幌から熊本まで古書店7店から15冊、収集しました。2万5千円、いただきますよ。

 

■依頼人N

 さて、いろいろ調べてもらってありがとう。まるで半世紀ぶりに初恋の人に会ったみたいに複雑な気持ちです。

 松本清張に「或る『小倉日記』伝」という芥川賞を受けた短編があるでしょう。主人公は障害をもつ青年。森鴎外が軍医として赴任していた小倉時代の譜上の空白を埋めようと、母の助けを借りながら、鴎外の足跡を丹念に追跡調査する。その努力を重ねながら、しかし青年は失意のうちに死ぬ。そしてしばらくして、鴎外の小倉時代の日記が発見される。…というストーリー。

 徒労に終わったらと、同じケースを恐れ、今まで調べられなかった。今回の調査で、まぼろしと思っていた漫画家の全貌が一挙に判明したら、逆に淋しくなる。ま、このへんにしといたろか、というところでしょうか。

 

■漫画探偵B 

 うーん、それにしてもインターネットは怖いね。半世紀前の漫画家の情報が真偽とりまぜこんなに流れるんだから。また、ネットのホームページというのはオタクの世界だということが分かった。それに助けられて調査が進んだが、同時にサブカルチャーの世界の怖さを垣間見た思いがするね。


  1959年、少年週刊誌時代はじまる。

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